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JBL スピーカー 2405 買取
型番 2405
仕様 型式 ホーン型トゥイーター
インピーダンス 12Ω(初期)
16Ω(後期)
ホーン開口/スロート径 7.9×1.8cm
許容入力(連続プログラム) 30W(1973年カタログ記載)
20W(1975年以降カタログ記載)
音圧レベル 105dB/W/m
周波数特性 6.5kHz~21.5kHz
指向性 90゜×30゜(16kHz)
65゜×25゜(20kHz)
クロスオーバー周波数 7kHz以上
ボイスコイル直径・材質 3.2cm(1973年カタログ記載)
4.4cm、アルミ(1975年以降カタログ記載)
磁気回路重量 1.5kg
磁束密度 16,500gauss
外形寸法 直径98×奥行83mm
重量 2.7kg(1973年カタログ記載)
2.0kg(1975年以降カタログ記載)
発売年 1971年
高額買取ランク
rank1
JBL スピーカー 2405の特徴
ディフラクションホーンを採用したホーン型トゥイーター。
ダイアフラムは0.0056cmアルミ箔を空気圧で成形したもので、電解保護処理が施されています。ダイアフラムから出た音波は回折ホーンを通過するため指向特性も大幅に向上しています。
JBL ジェービーエルの歴史
JBLと聞けば音楽が好きな人には大変馴染みのあるスピーカー会社ではないでしょうか。アルテック・サービス社がJBLの前身社であったランシング・マニュファクチャリング社を買収して会社名がアルテック・ランシング社となりました。
ジェームス・B・ランシングが1946年にそのアルテック・ランシング社から独立して設立した会社がJBL社です。
JBL社の生みの親でもあるジェームス・B・ランシングは経営者としては冗談でも成功したとは言えませんでしたが、技術者としては超一流でアメリカの映画界に多大な貢献を与えた人物としても知られています。ジェームス・B・ランシングが特に力を入れていたのが劇場用スピーカーで、ジェームス・B・ランシングが作ったJBL劇場用スピーカーは当時、全米の映画館の標準スピーカーとされるほどの人気でした。
それからもJBL社のスピーカーは進化をし続けてオーディオ用スピーカーだけに留まらずギターアンプのスピーカーとしてJBLスピーカーが搭載されるほどで、今でもヴィンテージ物として愛好家に親しまれています。その当時、JBL社で最も人気があったスピーカーがフルレンジユニットの最高傑作として知られる15インチ・オーディオ用スピーカー『D130』です。このD130はオーディオ用としての用途だけではなくギターアンプにまで搭載されるほど高性能スピーカーでした。D130は15インチオーディオスピーカーの基礎となったスピーカーで、現在でも最新ウーハーにD130の技術が継承されています。
類まれなる技術を持ったジェームス・B・ランシングは、D130と同じ時期に発売されたD175と言う振動板よりも音の出口が狭いオーディオ・スピーカーを作り出したのを最後に1949年に自殺してしまいました。
ジェームス・B・ランシングの死後、JBL社はウィリアム・H・トーマス氏が社長就任となりジェームス・B・ランシングのスピーカーに対する熱い想いは受け継がれコンサート会場、録音スタジオ、映画館などで使用され、プロが認めるオーディオ・スピーカーメーカーです。
JBLと映画業界の繋がりは昔から深かったのですが、ジェームス・B・ランシング没後もJBLのスピーカーは、映画芸術科アカデミー・サミュエル・ゴールドウィン・シアターのスピーカーシステムに採用されたり、録音スタジオのモニタースピーカーや劇場用スピーカーでのシェアも非常に高く、現在でもJBLスピーカーは世界の人々に愛され続けています。
■JBLの誕生まで
ジェームス・B・ランシングは、1902年にアメリカのイリノイ州で誕生しました。実は、ジェームス・B・ランシングと言うのは通称であり、本名はジェームス・マーティーニであります。小さな頃から電子工学が大好きな少年であり、ライデン瓶を作成するなどその能力には疑いの余地が無い程の少年でありました。
また、無線機を自分で組み立ててアマチュア無線の没頭していました。一度は自動車店に就職するも、その能力を活かすかのように、1924年にソルトレイクシティのラジオ局に就職します。
そこで、技術ディレクターとして活躍していた最中、ラジオ受信機のスピーカーに興味を持ち始めます。「これを改良すればもっといい音を奏でることができる!」少年時代から持ちあわせた好奇心を抑えることができず、実際にスピーカーを改良するための研究に没頭し始めます。
ちょうどこの頃から、ジェームス・B・ランシングと名乗り始めます。その後、1927年にはついに自分の会社であるランシング・マニュファクチュアリングを、知人のケン・デッカーと共に立ち上げます。ランシング・マニュファクチュアリングは、今のJBLの前身として知られています!
■経営者としては決して有能ではなく・・・
1934年にはMGMよりMGMシャラーホーン・システムの開発を依頼されます。クライアントの依頼に忠実に応え、何と映画芸術科学アカデミー賞を受賞するほどの名品を完成することに成功します!
これにより、知名度は一気に向上しますが、良いことばかりは続きませんでした。1939年に、経営の舵をとっていたケン・デッカーが航空事故で殉職するというアクシデントが発生します。これにより、業績が一気に悪化してしまいます。
1941年には事業存続の危機を迎えることになり、アルテックという会社に買収され、アルテック・ランシングが誕生します。ジェームス・B・ランシングは、アルテック・ランシングの技術副社長に就任し、技術面で会社を支えます。
1946年にはアルテック社を退社し、ジェームス・B・ランシング・サウンドという会社が誕生します。ただ、ジェームス・B・ランシング・サウンドは経営的に逼迫してしまい、最終的には1949年に自殺という形で最期を迎えてしまいます。
今でも、ジェームス・B・ランシングの名や心意気は、JBLの中に息づいているのは言うまでもありません!
- 【買取の際の注意事項】
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※ 18歳未満の方は保護者の方の身分証明書のコピー、承諾書が必要になります。